2010年 第3号 Vol.162
 
 編集・構成 向畠 正人

 
 発行人:今井 康了
 発行:日本特撮ファンクラブG
 

 現実の宇宙開発と近未来宇宙SF


 
『はやぶさの物語』

 2010613日・日本時間2251分、オーストラリア・ウメーラ砂漠上空に光り輝く一羽の鳥が、長い長い旅を終えて地球に舞い戻った……
そう工学実験探査機『はやぶさ』である。小惑星イトカワに離着陸しイトカワの砂をサンプルリターンする、それがはやぶさの目的だ。イトカワと地球の直線距離は3億㎞。互いに公転し動き続けているし、探査機自身が地球の重力を使って加速するスイングバイなど複雑な軌道計算をして運航しなくてはならなく、また相次ぐトラブルもあり結果的にはやぶさの総飛行距離は約60億㎞、時間にして7年に及んだ。
 はやぶさの旅はトラブルの連続でそのトラブルの度にJAXA宇宙研究所を始めとするはやぶさプロジェクトチームの技術者達の並々ならぬ努力と信念によってはやぶさは不死鳥のように甦り満身創痍で地球に帰還するに至った。
 はやぶさと技術者達のあまりにドラマチックで熱き物語は涙無しには語れない。その物語について9月のJAXA理事長定例記者会見内においてJAXA理事長の公式なコメントとして『はやぶさを映画化しようという話もあり、いろいろな方面への広がりを見せています 。』と、明かした。
 正直、ようやくかという思いである。なぜもっと早くそういった話がでてこなかったのか不思議でしょうがないのである。アンテナを広げ、いち早くこの話を映像化しようと思った映画プロデューサーはいなかったのか?
 SF小説『日本沈没』が出版された日、名プロデューサーである田中友幸は昼までに上巻を読みあげ作者小松左京に映画化したいと電話したそうである。その後、本はベストセラーになり映画にドラマにと一大ムーブメントを起こすわけだが名プロデューサーの時代を読み解く直感は凄まじいほどである。はやぶさにとってそんな名プロデューサーは現れず、はやぶさブームに便乗しようとするのが透けて見える。それでも実際に作られるなら素晴らしい作品を作ってくれればいいのだが

近年、はやぶさ以外にも日本の宇宙開発が注目を集めている。月探査機『かぐや』による月面や日の出ならぬ地球の出のハイビジョン映像や国際宇宙ステーション(ISS)の日本実験棟「きぼう」の完成、ISSの長期滞在を行った若田・野口両宇宙飛行士や山崎直子宇宙飛行士の活躍、世界初のソーラーセイル実証機『IKAROS』の快挙やこれから活躍が期待される金星探査機『あかつき』 等々。
 特にロケットエンジンよりかはるかに燃料(=重量でもある)を抑えられるはやぶさのイオンエンジンやIKAROSのソーラーセイル技術は人類が有人なり無人なりで外宇宙に進出する時に必ず必要になる技術である。それらが開発され運用試験が開始し始めたということは宇宙大航海時代の始まりを意味し、SFで想い描いてきた世界が確実に近づき始めたのである。


 『軌道エレベーター』

ロケットに替わる技術と言えばいわゆる軌道エレベーターを思い浮かべる人がいるだろう。エレベーターといっても地上から塔を作るのではなく、静止軌道(上空36000)から地上に届くほどの長い糸のようなものを垂らして、それを元にいわゆるシャトル上のエレベーターを作るというものだ。下りは重力があるため動力エネルギーが抑えられ同時に下るエネルギーをそのまま充電して上りの動力エネルギーの足しに使うことができるためエネルギー効率は良く、ロケットに比べれば費用は桁違いに抑えられる。最近ではアニメ『機動戦士ガンダムOO(ダブルオー)』に出てくる軌道エレベーターを思い出す人もいるだろうし、正にSFの産物だと思われる人も多いと思う。しかし現実には技術者や宇宙関係者達の間では真剣に検討されているのである。事実、アメリカや日本に宇宙エレベーター協会が設立され、アメリカではNASA後援で宇宙エレベーター競技会が行われたり国際会議も開催されたりしている。日本国内でも先日、技術競技会が開かれた。(軌道エレベーターと宇宙エレベーター呼び方が違うだけで同じもの。)
 また多くの研究機関や企業が参入してきて、なかには具体的なエレベーターの建設計画の発表(CNTの巨大化・量産化を前提として)や、建設をうたって投資家から資金を集めるベンチャー企業も増加している。

最大の問題はエレベーターを支え自重に耐えられる素材なのであるが、これについてはカーボンナノチューブ(CNT)が今、最も注目を集めている。しかし残念ながらまだそこまでの強度に至っていない。しかしこれも時間の問題と言われている。素材さえ開発されれば理論的には建設は可能なのだ。
 もちろんスペースデブリをどう回避するかや、放射線被爆による劣化の補修には軽量で高性能なロボットが必要なこと等、工学的技術の問題も多くある。しかしそれ以上に費用は莫大にかかるし、アース・ポートの領海・領空の使用権、軌道エレベーターの権利を巡って政治的な紛争が起こる可能性もあるし、軌道エレベーターを建設するということは宇宙開発にとっては革命とでも言ってよく今までのロケット産業を始めとする宇宙産業郡を根底から覆すことになってしまう。またどこにでも作れるというわけでなく赤道上のある程度決まったところにしか作れない。そして結果的に軍事バランスも崩すことにもなるだろう。工学的技術よりもそういった様々な政治的問題の方が解決は難しいそうである

 軌道エレベーターについて書かれた本に必ずといっていいほどでてくるのが軌道エレベーターの古典とも云うべきSF小説・アーサー・C・クラークの『楽園の泉』(1979/早川書房)だ。ストーリーは簡単に言ってしまえば軌道エレベーターを作るというみずからの夢の実現を目指す科学者の奮闘する話である。
(
ちなみに『楽園の泉』では政治的問題を避けるため世界は一つの政府に集約された未来になっている)
 設定は22世紀であるが、火星に人類の植民が進み、異星人とも間接ながらファーストコンタクトをした後というものなのでずっと先の未来のように感じる。しかしそれは現在の視点・価値観から見た話に過ぎないのであろう。火星の植民にしてもこれが書かれた1970年代後半頃はアポロ計画に替わるスペースシャトルの打ち上げを控えていた時期で、NASAはいずれはバスや電車のようにスペースシャトルに乗って誰でも宇宙に行ける時代がくるといったようなことを世界中に宣伝していた。それを考慮に入れ未来を思い描いたら火星開拓も夢ではない明るい宇宙計画が浮かび上がってくるだろう。(現実にはスペースシャトルは計画通りの本数は飛ばず、また1986年のチャレンジャー号、2003年のコロンビア号の事故などにより計画は遅れに遅れ、また世界中の宇宙開発計画にも悪影響をもたらした。)
 それでも1970年代後半に書かれたにもかかわらず『楽園の泉』は現在書いたSF小説のかのごとく緻密な科学考証を基に描いた小説になっている。あとがきでアーサー・C・クラークは「ことによると、軌道塔は22世紀ではなくて21世紀に実現するのではなかろうか」と述べている、カーボンナノチューブなど存在すらしていなかった時代にだ。そういった科学考証と想像力を持ち合わせたアーサー・C・クラークが書いたからこそこの小説はSFの金字塔たる所以なのだろう。

 近年の日本のSFにも軌道エレベーターは登場している。野尻抱介氏が書いた短編集『沈黙のフライバイ』(ハヤカワ文庫)の中に収録された『轍の先にあるもの』や『まっすぐ天(そら)へ』(講談社/著・的場健)などがそうだ。

 「轍の先にあるもの」は、アメリカの小惑星探査機NEAR-シューメイカーによる小惑星エロス探査の話(この部分はほぼ実話)から始まり、のちに軌道エレベーターが出来たことにより宇宙開発を大幅に加速し、主人公であるSF小説家(作者自身を投影したと思われる)がこだわり続けた小惑星エロスに降り立つという私小説とでもいうべき作品。
もともとアーサー・C・クラークのオマージュの短編小説の依頼から書いた小説で野尻抱介氏自身が

『『楽園の泉』が刊行された1977年にはそんなもの(カーボンナノチューブ)は発見されていなかったので、その固定観念を払拭する機会でもありました。』【MEF(小天体探査フォーラム)ホームページより抜粋】

と語っているのはなかなか興味深い。
(
ちなみに『沈黙のフライバイ』は収録作品がどれをとっても傑作宇宙SFという希有の一冊である「沈黙のフライバイ」「轍の先にあるもの」「片道切符」「ゆりかごから墓場まで」「大風呂敷と蜘蛛の糸」を収録。)
『まっすぐ天へ』も『楽園の泉』同様に軌道エレベーター建設の話である。やや説明じみたところがあるものの宇宙にかける想いは共感できるものがあり、わくわくさせられるがいざ建設というところで終わってしまって言ってしまえば未完、それが残念である。
 そして残念でならないのは上の作品は一つとして映像化されていない。仮に上の作品原作としなくてもオリジナルでそれこそプロジェクトXのごとく軌道エレベーターを建設するだけのドラマというだけで
面白いものができるのではないだろうか!?
言うまでもなく二作品とも『楽園の泉』に多大な影響を受けている。せめてこのジャンルにおいて日本特撮を駆使し、映像で海外に影響を与えるような作品を生むことは出来ないのであろうか



 『月』 

 またSFでも現実でも地球に最も近く最も身近な天体と言えば、やはり月という舞台を無視することはできないのである。アメリカではブッシュ政権下で立てられた宇宙計画で再び月にもどることを掲げていたがオバマ政権下では火星へとシフトチェンジが行われ、20109月の議会で正式に決まった。しかし現場で働く人々の中には月へ再び向かわせることを支持していた者も少なくない。
 また中国では2020年までに月に月面望遠鏡を建設する計画があると発表している。実際に建設できるかどうかはわからぬがアメリカ、旧ソ連についで3番目に独自で有人飛行を達成した国であり、経済大国へと突き進んでいる国として無視できない。我が国日本も月面探査を集中的にやるという方針がでている。
そんな月面を舞台にした近未来のSF小説や漫画も数多く存在する。小川一水氏が書いた『第六大陸』(ハヤカワ文庫)は時代設定が西暦2025年、サハラや南極、ヒマラヤに深海と極限環境下での建設事業で 実績を誇る民間の建設会社が月面基地を造りあげるという話である。登場人物のヒロインがややライトノベルぽいところがあるものの月面基地を造りあげるプロセスは丁寧に描かれていて圧巻である。
 また民間企業が造るという設定が宇宙産業にも多くの民間企業に広がりをみせている現実とリンクしているかのようである。 月開拓の話と言えば忘れてはならないのが今もビックコミックスペリオールに連載中の『ムーンライトマイル』(小学館/著・太田垣康男)だろう。これを書いている時点では21巻まで発行されている。16巻から17巻にかけて第二部に移ったようで第二部はおそらく月に住む人間の独立といった方向に話が進みそうである。しかし第一部は完全なる月開拓への話で、主人公はエリート宇宙飛行士ではなく宇宙開発を担ったビルティングスペシャリストである。人の描写、メカの描写、政治的ドラマ描写は正にリアリティーという言葉がピッタリで大人の作品になっている。コミックスの帯で小松左京氏は『宇宙を当たり前の環境として育った世代の描く「人間と宇宙」のイメージのリアリティは、私にとって新鮮でショッキングだった』と、松本零士氏も『宇宙開発に携わる人間たちの描写、及びメカその他の表現が実に緻密かつリアルである。素晴らしい才能の持ち主が現れたものだ。将来が非常に楽しみな作品かつ作家である』と、共に推薦している。
 映像化としてはアニメ化されている。ドラマ部分は原作に忠実なので良いが、絵的にはメカのCGと背景(宇宙空間)があまりに違和感がありあまりいい出来とは言えない。それに加えドラマも途中(かなり中途半端に)終わってしまった。
かなり壮大なスケールなので実写化は難しいかもしれない



 『宇宙を目指す者、宇宙と対峙する者、宇宙を受け入れる者』

 日本のSF漫画には多くのすぐれた近未来宇宙モノが存在する。最近は漫画原作の映画・ドラマ作品が溢れているがこのジャンルの映像化としてアニメ化はあるものの実写化は皆無に等しい。最後に私が個人的に大好きであり実写映画化を激しく望んでいる素晴らしい作品を3本紹介したい。
 まずは宇宙を目指す者の物語ともいうべき作品。今もモーニングで連載中の『宇宙兄弟』(講談社/著・小山宙哉)だ。
 『兄は常に弟の先を行っていなければならない』そんな幼いころから責任感とは裏腹に兄・六太は会社をクビに、弟・日々人は宇宙飛行士の夢を達成。あきらめかけた夢に、兄はもう一度チャレンジする。30ヅラ下げて、さらに弟の先を行くために。とにかく熱い!!ストーレートに熱い漫画だ!!最も映像化を望む作品だ。
 しかし宇宙兄弟が実写映像化された場合、宇宙のシーンは今のところほとんど無いので特撮ファンとしては残念であるがロケットの打ち上げは必須であり、主人公の弟が宇宙飛行士で月に行ったりしてるので特撮抜きでは描けないだろう。

 二本目は宇宙と対峙する者と言うべき物語、『プラネテス』(講談社/著・幸村誠)だ。舞台は2070年代、宇宙開発によって生まれたスペースデブリ回収業に従事する主人公のハチマキは同僚とデブリ回収に励みつつ「深遠なる宇宙」と向き合っていく。人類は宇宙に進出しさらに外宇宙に目を向けた時、人は無限に広がる宇宙に対してどう向き合っていくのか?そんなメンタル面と同時に作品の中の現実の世界では宇宙資源は先進国が独占し、地上の貧富の差は埋まらない
 原作漫画と同じくらいアニメも人気がありファンの間ではどっち派かで論争が起こるぐらいだ。宇宙モノのアニメでは最高のクオリティイ、最高の出来だ!(個人的には原作漫画もアニメも甲乙つけがたくともに素晴らしく原作とアニメがお互いに補い合いそれでいてそれぞれの魅力をだす最高の関係だと思う。)
 実際にスペースデブリの問題は深刻である。毎年何十機もの人工衛星が打ち上げられるため、必然的にデブリの数は増え続けており、最悪な場合スペースデブリが互いに、あるいは人工衛星などに衝突すると、それにより新たなデブリが生じ 空間密度がある臨界値を超えると、衝突によって生成されたデブリが連鎖的に次の衝突を起こし自己増殖するような状態になるおそれがある。いわゆるケスラーシンドロームと言われるものだ。研究者の中にはある軌道ではすでに始まっていると言う者もいるぐらいだ。 宇宙開発が進む中で必ず対面する問題だろう。

 ある映画関係者に聞いた話によれば『プラネテス』も『宇宙兄弟』も企画までは持ち上がるんだがその先が進まないらしい
 『プラネテス』はアニメであれだけの絵を観せたのであるから実写で特撮を駆使すれば実写にしかできない素晴らしい絵が絶対に撮れるはずと思う。
実写映画化をただただ切に願うのみである。

 どちらかというと現実世界との連続性の強い近未来SFを紹介してきたが最後はスペースオペラとも、あるいは大叙事詩的ともいうべき宇宙SF漫画をとりあげたいと思う。サブタイトルにもある宇宙を受け入れる者の物語、『2001夜物語』(双葉者/著・星野之宣)である。星野之宣は多くの宇宙SF漫画を描いているが星野之宣にとって『2001夜物語』は集大成ともいうべき大傑作だ。スケールは大きく宇宙SFのあらゆる要素が盛り込まれた作品である。人類が数百年にわたり外宇宙に進出していった大河的な物語。
 私は今回この文章を書くにあたって改めて読み直してある絵を思い出した。ゴジラやスターウォーズのポスターで有名な生頼範義の『サンサーラ』という絵画だ。サンサーラとはサンクリット語で輪廻という意味である。ゴーギャンの落書き「我々はどこから来たのか?我々とは何か?我々はどこへ行くのか?」に輪廻という言葉にタブらせ人類の過去・現在・未来の姿をイメージしてイラスト化したものだ。横長のその絵画はビックバンから始まり地球生物の進化が描かれ、人類らしき者が宇宙へと飛び出そうとしている。まさにゴーギャンの落書きが全てを表現しているような、そして壮大スケールを描いた絵画だ。その絵画を初めて観た時と同じような感動を『2001夜物語』を読んだ時に感じた。

 『レジェントブヤマタイカ』(光文社)の第二巻の解説を平成ライダーなどを演出した田崎竜太監督が書いている。その中で監督はこんなことを言っている。
『日本に生まれ育ち、映像でメシを食っている人間として常々恥ずかしいと思っていることがある。日本の映像界が今だに星野之宣作品をちゃんとした形で実写映像化してないということだ (中略) 理由は簡単。実写映像化するにはどれもスケールが大きすぎるのだ。すくなくとも日本映画の土俵にはなかなかはまらない(以下省略)

 決して『2001夜物語』が描くような外宇宙へ進出するような未来は人類には訪れないのかもしれない。しかしながら人は想像することができる。『2001夜物語』の壮大な宇宙感を感じ想像するそんな想像を刺激するような実写映像化を日本の特撮ができればきっと日本特撮宇宙映画の金字塔になるだろう。


 201012月、『SPACE BATTLESHIP ヤマト』が公開される。自分はいわゆるヤマト世代でもないのであまり思い入れも無く、主演がジャニーズ、それもSMAPの木村拓哉だというのであまり期待もしていない(多くの映画でイメージ先行のジャニーズ主演映画で個人的期待を裏切られてきたので…)
 しかし、もしこれがヒットすれば宇宙モノの成功で映画会社も宇宙モノというジャンルを開拓する勇気を持ってくれると淡い希望を抱くのは甘い考えなのだろうか……

 日本の宇宙SFにはこんなにも素晴らしい作品があり、まだまだ多くの傑作が存在し、ジャンルそのものがまるまる未映像化という状態で手付かずのまま残っている。
 現実世界も知らぬまにこんなにも宇宙SF世界に近づき始めている。
 そしてそれを映像化するには現実には見ることの出来ぬ光景であり特撮やCGが必要になる。
 今こそ宇宙SFを映像化すべきではないのか?日本の映像業界並びに特撮業界の人々に宇宙SFというジャンルを切り開いて私達の想像力を刺激し、感動させてくれることを強く、切に訴えるしだいである。