2015年 臨時特別号
 
 編集・構成 向畠 正人

 
 発行人:今井 康了      
 発行:日本特撮ファンクラブG

 『生頼範義展』と生頼範義かく語りきⅡ
 
     『思い出せ生頼範が描いた未来の記憶を・・・

 生頼範義展のポスターやチラシに書かれたそのコピーは、生頼ファンをゾクゾクさせるには十分過ぎるほどに完璧なコピーである

前回開催された時のコピー「奇跡を体感せよ!」、その言葉の通り奇跡のような生頼範義の世界を体験できてから約1年4ヶ月、再び宮崎県みやざきアートセンターにおいて生頼範義展が開催した。  

前回の開催以来、生頼範義展の公式Facebookでは展覧会終わったのちも様々な情報と共に「生頼範義の仕事」と称して本やポスター、広告などに使われた作品群を数的には2日に1本くらいのペースでかつ現在進行形で画像アップされ続けている。(現在700作品以上)

世に出ている作品のあまりの量の多さ、質の高さ、バラエティーの豊かさにあらためて驚き興奮しながらチェックしている。

そして2015年正月早々にそのFacebookにおいて生頼範義展並びにを開催すると発表があった!

すぐに私は前回も一緒に行ったGのスタッフの今井会長・鈴木氏に「今年も宮崎に行きましょう!」と喜び勇んだ!

 
 生頼範義展 告知ポスター

     
『イラストレーション別冊 生頼範義 緑色の宇宙』(出版社/玄光社・オーライタロー監修)

 話は前後するが2014年12月『イラストレーション別冊 生頼範義 緑色の宇宙』というムック本が出版された。またこれが素晴らしい書籍で、生頼範義の作品集と言ってもよく生頼範義展の図録を補完するように多岐にわたる生頼範義という表現者の全体像をバランス良く構成され数多くの作品が記載されている。そして色も鮮やかにでていて価格も2,000円+税と手頃だ。否、安い!

また物凄い数の書籍カバーや装画を手掛けているがそれらを数多くそのまま掲載しているのもこの本の特色の一つだ。もちろん手掛けた全体数からすればほんの一部なのだろうがそれでもファンにとっては貴重な資料だ。前回のレポートに書いた高円寺で開催された『緊急トークライブ「奇跡を体感せよ!」生頼範義展を語る』の採録が載っているのも嬉しい。個人的にもそこに来場者の発言として一言、自分の発言が載っていることにその場にいあわせた幸せをあらためて実感させてくれる。
   

 
『イラストレーション別冊
生頼範義 緑色の宇宙』

     【 生頼範義展 記憶の回廊 】

 宮崎には、7/11.12でいくことになった。生頼範義展の開催期間は2015年7/8~8/30なので開催されてからの初めての土日である。12日に生頼先生のご長男で画家のオーライタロー氏のギャラリートークがあるのでそれに合わせて個人的には早く行きたい気持ちをグッと我慢して11日の宮崎1日目は宮崎観光して12日に生頼範義展に行くことになった。

前年の2月、前回は飛行機が雪で欠航というトラブルがあり今回もこの週に日本列島の南方で台風が3つも発生して今度は台風で飛行機が欠航するのではないかと一週間天気予報見ながらヒヤヒヤさせられた()

今回の生頼範義展は『記憶の回廊』と称し生頼先生がイラストレーターとして活躍し始めた1966年から1984年までの作品の展示でイラストの他に、ライフワークとして描いてきた油絵も展示され、前回は267点なのにたいして今回は約260点、前回同様の量と質の作品群が宮崎に待ち受けていた。

   
エレベーターホールには今年も生頼イラストが待ち受けていた!  エレベーターを降りるとマッドマックス2が!

     『 5階 第1展示室  【我々の所産】【破壊される人間のための習作】 


 開場時間と同時に入館し、作品目録・限定チラシ・限定手ぬぐいを受け取り第1展示室に入る。
前回の無料スペースにはポスターや新聞広告のイラスト、生頼先生が装画を描かれた本がズラリと並べ展示されている 通称生頼タワーと呼ばれている巨大なピラミッドタワー状の棚があった部屋にドンと10点のオリジナル作品が展示されていた。

どれも興味深い作品なのだが真っ先に目に入り個人的に興味そそられるのは正面に展示されている【我々の所産】(1997年)だ!
前回のレポートで【サンサーラ】(1989)という作品のことを書いたおりに「『神狩り2 リッパー』(著者: 山田正紀/出版社: 徳間書店・2005)の装画【我々の所産】は【復活の日】同様にこの【サンサーラ】をモチーフに再構成されたものだとわかる」と紹介し写真画像を載せた作品だ。この画は元々、生頼先生自身が卒業した母校である鹿児島県川内高等学校同窓会から依頼を受けて描いたものだ。その画を見て比べれば明らかなように【サンサーラ】を再構築したもので縦1.5×3mの大作である。なかなか外に出る機会の無い画だそうである。この作品を目の前にして正直、これを見られただけでも宮崎まではるばるきた甲斐があったと、ため息が漏れてしまった。

画の解釈は人それぞれなのだろうが、
過去、現在、未来という時の流れを、右から左へと時間の流れを凝縮して一枚で表現しているように感じさせてくれるスケールのとんでもなく大きい【我々の所産】と【サンサーラ】

左、つまり未来への表現において【サンサーラ】では人類の種の進化なのか翼を持った人間が牽引するかのごとく宇宙服を着た者に引っ張られている。これは宇宙へと進出し広大なフロンティアへと世界を飛躍させていくという言わば希望。一方、【我々の所産】では牽引するものは機会仕掛けの武器に覆われた目隠しをしたドクロであり、それを翼を持った人間が亡者に阻止されそうになりながらも必死に左(未来)に向うのをくいとめるかのように描かれている。このまま進めば未来は絶望が待っているのではないか?群像の中心ではここでもドクロが不気味に正面を向いている。

【サンサーラ】は1989年の作品、【我々の所産】は1997年の作品である。この8年の間で生頼先生の中で何かが変わったのだろうか?これらの一部分の表現の変化とってみても興味深い。また真ん中の背景には地球と思われる惑星が存在し、その惑星は下からマグマのように溶け始めていいて存在感とスケール感を大きくしている。『サンサーラ地球・宇宙・人間 我々はどこから来たか? 』(Ⅲ/著者 ・ 松井 孝典/出版社 ・ 徳間書店・1989年 )の 付録ポスターにも使われた【地球46億年の修復と蘇生へ】(制作年不詳)ででもこの溶けかかった惑星(地球)が描かれている。
それらの作品の関係性を考えるとまた興味深い

 
 商店街にでかでかと
【我々の所産】(1997年)図柄の告知の垂れ幕

どこまでも作品世界に浸ってしまいどれだけ見ていても見続けたいと思わされるそんな奥が深く凄い作品だ。

右の側面の壁には【破壊される人間のための習作】(1981年頃)が2点ある。【破壊される人間】は1981年完成し4m半・600号の大作で川内歴史資料館に寄贈された。

実は、11日に先着20名でみやざきアートセンターを出発し、霧島神宮や薩摩川内市川内歴史資料館などを巡る日帰りバスツアー『生頼範義のルーツをたどるツアー』という魅力的なものがあったのだが残念ながら飛行機のタイミングが合わず参加できなかった。そのツアーの目玉が薩摩川内市川内歴史資料館で【破壊される人間】が展示されているのでいつか必ず行って生でその画を鑑賞したいと思っている。

【破壊される人間のための習作】は10点近くの習作が見つかっている。ここに展示されてるのはその内の2点である。

抽象的に描かれているそれぞれのその画は、殺すか殺されるか相手がモノにしか感じられないそんな人間になってしまう戦争の狂気を描いたものなのか、臓物がひきさかれていたりしているようでありグロテスクでさえある。見れば見るほど負のエネルギーか怒りなのか何かが真に迫ってくる。この大きさの習作でこの圧迫感なのだから【破壊される人間】はどれだけのものなのだろうか?!より一層見たくなる。

ただギャラリートーク時にオーライタロー氏も言っていたが、この作品が本当に習作かはわからない。

画家によっては同じモチーフを何度も描く人もいるし、実際似たモチーフの作品だったりすることも見られる。

またオーライタロー氏は、生頼先生は10歳で空襲を2回受けてそれがもとになっているとも言う。表現者にとって自分の体験が色濃く反映するのは常であり作品を見ていると妙に納得させられる力強さがある。

第1展示室には他にも妹を描き、1960年に初めて銀座で開催した時に案内状に使われた【少女像】(1960年)、イラストレーションの仕事が増えてきていた44歳の時に1日で描き挙げた【M老人像】(1979年)、基本的に出不精で風景画を描くのは家の庭から見える崖と時を変えて【裏の崖(1975年)【裏の崖(1975年)や【死んだ鷺】(1981年)【軍艦 重巡洋艦 摩耶】(制作年不詳)【軍艦 阿賀野型軽巡洋艦】(制作年不詳)などオーライタロー氏によるそれぞれの様々なエピソードも含め興味深い作品ばかりだ。



     『 5階 第2展示室  【マッドマックス2】・書籍・雑誌 』

 第2展示室には初めに今回のメインビジュアルの一つ【マッドマックス2】(1981)のポスター原画がある。前回の展覧会の後、当時ワーナーブラザーズで働いていた方から連絡がきて個人的に保管していたと【マッドマックス2】【グッドモーニングベトナム】【刑事ニコ/法の死角】の映画ポスターの原画が返却されたそうだ。

【マッドマックス2】を描いた時、当時生頼先生はオーライタロー氏に1万円渡し革ジャン買ってこさせ、質感がわからないから直接みたいと、それを着てモデルをさせられたそうだ。【マッドマックス2】には採用されなかった構図のポスター案があったようでそれ用に中学生だったオーライタロー氏がその気になってボウル紙を巻いてショットガンを構えてポーズしているポラロイド写真が今もあるそうだ。

ギャラリートーク時【マッドマックス2】のパネル前でそんな想い出エピソードを当事者本人から聴けるというのは興味深く印象深かかった。 

続いて多く描いた平井和正作品群を通り、小松左京作品群がある。その中に【復活の日】(1980)がある。

これは小説の挿絵で、この画をはじめ1970年代初めからの多くの作品が早川書房から宮崎に返却されたそうである。

昨年の生頼範義展以降、『イラストレーション別冊 生頼範義 緑色の宇宙』の出版、【復活の日】【マッドマックス2】の返却などこうした生頼範義という表現者のムーブメントとして動き出していることが実感させられる嬉しいエピソードだ。

平井作品、小松作品に引き続き様々な作家の書籍のために描かれた作品が並んでいる。こうして見るとあらゆるジャンルや作家のその幅広さもさることながら作家・作品の違いで描きわけながらもやはり生頼作品であると感じられる凄さに感銘させられる。

個人的に注目した作品は【英雄ヤマトタケル(豊田有恒)(1984)だ。

自分の大好きな作品で、前回展示された【「東宝特撮映画全史」日本誕生/口絵】(1983)というものがある。東宝特撮映画『日本誕生』をイメージした作品で巨大な八岐大蛇に対峙する荒ぶる神ヤマトタケルノミコトの勇ましく激しい後ろ姿はあまりのカッコ良さに惚れ惚れさせられる。

神々の世界へと見ている者を誘い生頼ワールドのイマジネーションの海へとおぼれさせてくれる。そのヤマトタケルノミコトを豊田有恒の作品世界で同一人物を描く。きっと生頼先生の中にはそれぞれの世界観の違いがあると同時に、日本人なら誰にでも知っている日本神話のヤマトタケルノミコトという同一のモチーフがあったのだろうと思う。【英雄ヤマトタケル(豊田有恒)】は正面きって凛と静かに静止して見据えているヤマトタケルノミコ。先に紹介したムック本『生頼範義 緑色の宇宙』には【出雲のヤマトタケル(豊田有恒)(1981)の表紙が載っていて、公式Facebookには【神風のヤマトタケル(豊田有恒) (1981)【天翔るヤマトタケル(豊田有恒) (1986)のといったシリーズの表現も画像がアップされている。

生頼イマジネーションのヤマトタケルノミコトとしての角度で一連の作品を対比しながら見てみると興味深く面白いと感じられた。                                                                                                                                             
書籍コーナーに続き雑誌のために描かれた作品のコーナーが続く。

中でも講談社の週刊ぼくらマガジンを中心とした作品群は注目だ。ギャラリートークでオーライタロー氏は週刊少年マガジンの大図解のシリーズ、週刊ぼくらマガジンの恐竜伝説や図鑑などで描かれた恐竜はそれぞれこれだけで展覧会をやりたいくらいだと言っていた。

自分が特に気になったのは【日本が消える日(週刊少年マガジン51号)(1973)。週刊誌の51号ということは年末で、1973年というこの年には映画『日本沈没』が公開されていて生頼先生はこのポスターなど手掛けていて『日本が消える日』という題名ではあるが日本沈没のスペクタクルと日本が無くなるという十字架を背負った日本人という内容の象徴そのものだ。当時、ブームだったのだろうが同じ年に『日本が消える日』という題名を替えて描かれたことを考えるとこれもまた興味深い。

雑誌のコーナーの後、広告やレコードに描かれたコーナーが続き第2展示室は終わる。


     『 5階 オリジナル作品 』


 第2展示室と第3展示室との間のスペースに4点のオリジナル作品が展示されている。

【CHONG QING 重慶 1941(中国)(1979)

【DAKTO 1967(ベトナム)(1977)

【THE DRIFT RINK〈SFアドベンチャー15〉】(1981)

【DASHT・E・KAVIR 1980(イラン)(1980)

の4作品だ。人間が戦争という行為を行う悲劇性という画家・生頼範義が長年描き続けている一連のテーマの一つだろう。この4作品は、その作品群の流れをくむものであると思う。【サンサーラ】【我々の所産】【破壊される人間】も同じ作品群に属するのではなかろうか。

この4作品は今回の展覧会のメインの作品群の一つと言っても過言はないと思う。

生頼先生にとっても重要な作品群なのだろう、最初の画集『生頼範義 イラストレーション』(出版社/徳間書店・1980年)に【DAKTO 1967(ベトナム)】【CHONG QING 重慶 1941(中国)】【DASHT・E・KAVIR 1980(イラン)】は真っ先に載っているし【DAKTO 1967(ベトナム)】は今回の来場者限定チラシの表の図柄(裏面は【我々の所産】(1997年))でもある。

【CHONG QING 重慶 1941(中国)】【DAKTO 1967(ベトナム)】【THE DRIFT RINK〈SFアドベンチャー15〉】はある報道写真などにインスパイアされて描かれた作品で作品の右下に生頼先生のサインと共にそのインスパイアされた元ネタが書き込まれている。 

【DAKTO 1967(ベトナム)】で軍服着た骸骨のしている腕時計に8という数字が刻まれていてどういう意味か疑問に思い、一緒にいたGの鈴木氏に問いかけたら少し考えて「これは8ではなく、∞(無限)だよ!」とそこで気づいたようで自分もはっとさせられた。これを普通に腕時計として使用し見たら∞(無限)だ!と。この∞(無限)に生頼先生はどういった意味やメッセージをこめたのだろうか

【CHONG QING 重慶 1941(中国)】で子供を抱いて悲しい目で見つめている老人の眼差し、

【THE DRIFT RINK〈SFアドベンチャー15〉】でぐったりと横たわる多くの子供たち、【DASHT・E・KAVIR 1980(イラン)】朽ち果ていく鉄の塊の殺人兵器、それの前で共に消滅していく名も無き遺体、それぞれの後ろに悠久の時の流れ中で存在するように地球が描かれている。

今も地球のどこかでこういった人々が、こういった事柄が起こり存在し続けているのだと言わんばかりに画集で見た時は衝撃的だったが原画の訴える叫びのエネルギーは何千倍にも感じられる

【DAKTO 1967(ベトナム)(1977)図柄の限定チラシ(表面)


     『 5階 第3展示室 ・ 資料コーナー   4階 第4展示室・アトリエ再現 』

 

 5階の第3展示室の資料コーナーでは、大学の医学部に通って 勉強してまで描いて生のスケッチの力を存分に発揮した『現代の家庭医学』(1968年・学習研究社)などが展示されている。40年前の仕事だが喉の奥から視点で描かれた画などは今見てある歯医者の先生「勉強になります」と驚愕していたという。

4階の第4展示室 には生頼先生のアトリエの再現や使っていた資料、描くためにもちいたポラロイド写真など貴重な資料、第5展示室 で展示されている美姫たちのデッサンなどが展示されている。

アトリエの再現では生頼先生が脳梗塞を発症し療養生活に入る前に描かれていた軍艦のイラストが描き途中で静かにたたずんでいた

 

     『 4階 第5展示室  91人の美姫たち 』

 最後の第5展示室はSFアドベンチャーの表紙を着飾った91人の美姫たちだ。前回は約40作品くらいだったのが今回は4作品の複製原画を含め91作品全てである!通路の両壁に91人の美姫たちがズラッと並べて飾られている光景は正に圧巻で、それは厳かに華やかで鮮やか空気感が漂っているようにさえ感じさせられる。その通路は歴史や神話の中で運命に翻弄され様々なものを背負った眼差しがあらゆる方向から見られているようである。

これだけで展示会ができてしまうのではないか?!

また一作品一作品それぞれ美姫たちの着ている衣装の素材の違いや重さが描きわけられていてちゃんとわかるぐらい凄い!

最後の最後でダメ押しにと言わんばかりにこういう展示を持ってくる演出がにくい()

おそらく展示演出意図通りに最後でまた打ちのめされた!

 

     『 最後に 』

 260点におよぶ作品の中でいくつかピックアップしてこうしてここまで書いてきたがほとんどの作品や展示物をすっ飛ばしている。あたりまえの話だがそれらの作品が語るにおよばないということではなく、一つ一つの作品がどれもあまりに生頼範義という表現者の魂の筆で刻まれていて圧倒され過ぎてこみ上げてくる感銘感動をどう表していいのかわからないし、どれだけ言葉をつくしても自分のボキャブラリーでは語り尽せない底知れぬイマジネーションがそこに存在していた 

開館時間からオーライタロー氏のギャラリートークまでの1時間、ギャラリートークはたっぷり1時間半、そのあと帰りの飛行機の時間の関係でなんとか45分くらい、計3時間強全然時間が足りない!もっと1つの作品見つめ生頼イマジネーションの壮大なエネルギーに満ちたどこまでも深い海に沈みたかった 

来年12月、『生頼範義展』が開催されることが決まっている。次回はこの展覧会の続き1985年から現在に至るまでの作品だ!大量の作品の整理も引き続き行われ、新たに作品が見つけられるだろう。まだまだこの生頼範義ブームから目が離せない!

最後にもう一度【我々の所産】を見ておこうと第1展示室に戻った。たまたま他のお客いなく私は画の正面、数m離れて設置してある長椅子に座り画と対峙した。独り色々な想いを巡らしていると5,6歳の少年を連れた母親の親子らしき人が入場してきた。母親は端から順に画を見ているようだった。少年は独り【我々の所産】に惹きつけられるようにこの画の前に来てジッと見ている。私の位置からは【我々の所産】とそれを見入る少年の後ろ姿がまるで一枚の画のように感じられる光景だった。時間にして2,3分。この少年は何を想い、何を感じているのだろうか?私と同じようにこの画に衝撃を受けているのだろうか

何故かこの光景が最も深く印象に刻まれた

   
前回同様最高な図録と限定手ぬぐい! 2016年12月 『生頼範義展』開催予定!!!