2018年 臨時特別号
 
 編集・構成 向畠 正人

 
 発行人:今井 康了      
 発行:日本特撮ファンクラブG

 緯度G大作戦2017 【輪廻する未来図・生賴範義の所産Ⅱ】後記生頼範義展』と生頼範義かく語りきⅡ
 
 『いつか見た未来図を辿る旅路は永遠に終わらない…
 昨年に引き続き生賴範義の引力に囚われたGスタッフ二人がその魅力を熱く語らう。』(緯度G大作戦2017パンフレットより)


 

 前回の緯度G大作戦2016プログラム【生賴範義の所産】では、ビジュアル面で SF や特撮ジャンルに多大な影響を与えつつも、2015年に惜しくも亡くなられた生賴先生の追悼企画として、その業績を回顧させていただいた。

 それから1年、宮崎県での3回目の回顧展や大分の巡回展の開催、生賴イラストのジークレイ(複製原画)が宮崎市のふるさと納税の返礼品として採用され、また生賴イラスト版メカゴジラ超合金が発売されるなど、様々なムーブメントの活発化とともに、2018年1月6日からは遂に東京の「上野の森美術館」でも回顧展の開催が決定している。
 そこで今回(緯度G大作戦2017)はさせさやかながらその応援企画として、我々特撮ファンにとって生賴作品の中で最も重要な作品群の一つであるゴジラを中心に、この目眩くような生賴ワールドの真髄に少しでも迫りたいと考えて【輪廻する未来図 生賴範義の所産Ⅱ】を企画した次第なのである。
取り分けプログラムの後半では、生賴範義先生のご子息であるオーライタロー氏を特別ゲストにお招きして、回顧展のレポートを交えつつ大変貴重なお話をお聴きすることが出来た。 
 同じ壇上に並ばせて頂くなど私どもには正に身に余る栄誉であり、当日わざわざ会場までお越しい頂いたオーライタロー様には、この場を借りて改めて御礼を申し上げさせていただきます。

 さて、この企画では前半部分で生賴先生によるゴジラ作品を語るにあたって、私と鈴木は、『ゴジラの原風景(2004年)』なる作品をコーナーの核に据えた。
当日の内容と重複してしまうがこの作品をあらためて考察したいと思う。


   
 
    『ゴジラの原風景』(2004年)

 この作品は2004年に神戸ファッションミュージアムで開催された【Gの原点と進化】展用に書き下ろされた作品だ。
   2004年当時、ゴジラファイナルウォーズのフリーペーパー・ゴジラファイナルニュースに載っていたのとファミリーマートのキャンペーンなどでも一部使われている。
絵全体が紙媒体として載っているものとしては【GODZILLA GENERATION 】(2014年有限会社デジタルノイズ)と昨年発売された画集【緑色の宇宙】(2014年 玄光社)にやや小さく載ってる程度で、他にはゴジラを集めた2018年の生賴範義>カレンダーにも載っているようである。

 また当時ジークレー(複製原画)が100枚販売されたようだ。原画は個人所有(所属 : ㈱MAT・良園道都)ということもあってか、近年の生賴範義展などの回顧展でも原画は展示されていないため、他の生賴先生のゴジラポスターと比べて絵全体はあまり知られてないのではないだろうか。( 心底原画を見たいと切に願っているだが…)
 兎も角、この作品は見れば見るほど【ゴジラ】第1作のエッセンスを凝縮したものになっていることに気付かされる。
熱戦で溶け崩れる高圧鉄塔や自衛隊のF86戦闘機、新聞社のヘリコプター、栄光丸、日劇や和光ビル、国会議事堂、勝鬨橋、八山陸橋、更には戦車や重砲の放列…etc。サーチライトの光芒もあれば、高く吹き上げた水柱はフリゲート艦隊による爆雷攻撃を表しているのだろう。
勿論、核爆発のキノコ雲こそ劇中では描かれていないものの、しかし全てがコラージュ的に散りばめられた画布の中央に、ゴジラがキノコ雲を背中に負って力強く佇立しているのである。この原子雲を背にしたモチーフは他にも、イメージとしての平成ゴジラ像の集大成とも呼ぶべき【平成ゴジラ大全】(2003年 双葉社)の表紙イラストとして描かれている。
 
 2004年神戸ファッションミュージアムで開催された【Gの原点と進化】展ポスター
 平成ゴジラシリーズのポスターを描き続けた生賴先生が、ゴジラの原点たる初代ゴジラと平成ゴジラの集大成のゴジラの後に象徴的にキノコ雲を描く。
正に核兵器の暗喩としてのゴジラである。
 鈴木は以前からNHKを始め特に若手の映像作家や評論家の方たちが矢鱈とゴジラを戦争のメタファーの部分を強調する風潮を苦々しく思っていたと言う。
ところが、この作品は実に素直に原水爆のメタファーとしてのゴジラというものを受け止めることが出来る、と飽くまでも個人の感想としつつも鈴木は次の結論づけるにいたる。『その理由は何だ?と考えたとき、「この絵を描いた作者の、表現者としての厳然たる力量の違い」であると思わざるを得ないのです』と。
実はこの絵にはキノコ雲の他に第1作の画面には出てこないものが描きこまれている。それはゴジラの足元の辺りに連なった累々たる屍の山だ。それこそ東京大空襲やヒロシマ、ナガサキのドキュメント映像さながらの光景であり、恰も画家・生賴範義にはそれが幻視されていたのじゃないか、といった生々しさすら覚えるほどの筆運びなのである。
そうした視点で今一度作品を眺め廻して観たとたき、我々はこの絵の正体に気づいて愕然とさせられたのだ。何故ならば、この絵はかのパブロ・ピカソの『ゲルニカ』へのオマージュとしての側面を持っていると直感されたからだ。 果たしてこれは深読みだろうか?
 だが何よりもそのヒントとなるのが、画面の左隅に映画後半の病院のシーン(二度目の東京襲撃から一夜が明けたところ)で、孤児になった女の子を抱き上げる山根恵美子(河内桃子)の姿が描かれている点であろう。あれだけキャラの立っている芹沢博士でも、山根博士でも、況してや主人公の尾形ではなく、山根恵美子なのだ。実を云えば、かの『ゲルニカ』の画面の同じ左隅にも、無差別空襲の犠牲になった子供を抱きかかえる女が描かれている。ピカソのモチーフで云う「泣く女」と呼ばれるものだ。今年、新国立美術館で開催されたミュシャ展で展示されたスラブ叙事詩の中にも戦乱の中で子供を抱く女が描かれてた絵があって印象深かいものがあったが、もともと「子供を抱く女」は昔から西洋画に良く見られる画題の一つではある。
    しかし、それは例えば『ヘロデ王の嬰児殺し』であるとか『ピエタ』での処刑されたキリストの遺骸を抱くマリアなどといった、宗教画の画題が殆どだった。ところが1937年にピカソがこれを『ゲルニカ』に用いてからは、このモチーフは弱き民衆による戦争への怒りを表す象徴となったのだ。或いは『ゴジラの原風景』の底流には、先生ご自身が明石や鹿児島で遭遇した空襲の原体験が深い澱みとなって堆積しているのかもしれない。  
「ゴジラファイナルニュース」(フリーペーパー)見開き(2004年)とFamilyMartチラシ
 こういった戦争画とは別のベクトルとして戦争画ではないが、戦争の本質を描くという意味においては 画家、表現者生賴範義として『サンサーラ』や『我々の所産』へも繋がっていくものだと個人的に私は思う。
 画家・
生賴範義という表現者がゴジラの中に内包するものの本質を突き詰め荒々しく凶暴に極限まで描き上げたゴジラ。
 この作品に限ったことではない。生賴範義作品にはどの作品にもそんな表現者としての魂の画業が感じ取ることができる。
「作品の質に量が伴って、初めて天才と呼べる」とある人が言っていたが、その言葉に従うのならば生賴範義先生は天才と言わざるを得ないことになる。

 

      上野の森美術館 生賴範義展】(2018年 1月6日~2月4日)

 キラ星の如く輝く選りすぐりのイラストの数々。
仮に生賴範義の名前を知らなかったとしても絶対に見覚えある画がそこに存在するのだ。また、たとえよく知っている画であったとしてもその原画の持つエネルギーに圧倒され、自身の持っていたイメージは覆されて、生賴範義という名前が胸に刻まれるだろう。
先にふれた『破壊される人間』も上野の森美術館で見ることができる。2m × 4,5mという大作だ。いつもは鹿児島県川内市歴史資料館に展示されている。加えるに鹿児島県立川内高校同窓会のために描かれた『我々の所産』も展示されるようである。これまた大作と言わざるえない。

イラストレーターでありまた画家・表現者としての 生頼範義の魂の絵画に圧倒されるだろう。

そんな日本の宝とも言うべき作品が東京に一同に集うのだからファンの一人として是非一人でも多くの人に見てもらいたい!いや、行くべきだと声高に言わざるをえないのである!

最後にこれ以上の賛辞はないだろう樋口真嗣監督の生賴範義展の公式応援コメントの言葉でこの文書を締めくくりたい!

  【 我々日本の創り出した想像力の限界であり頂点。


   http://ohrai.net/ (「生賴範義 展」公式サイト
    http://www.ueno-mori.org/ (上野の森美術館ホームページ)